松平忠和 (上田藩嫡子) (Tadakazu MATSUDAIRA (the heir of Ueda Domain))
松平 忠和(まつだいら ただかず、寛政3年(1791年) - 文政11年4月10日 (旧暦)(1828年5月23日))は、江戸時代の人物。
信濃国上田藩の嫡子。
官位は左衛門佐。
4代藩主・藤井松平忠済の四男として生まれる。
正室は秋田孝季の娘。
長兄・藤井松平忠英が夭逝した後の嫡子をめぐり、御家騒動となったため、父・忠済の後は分家からの養子・藤井松平忠学が継いだ。
忠和は忠学の養子となったが文政11年(1828年)、家督を継ぐことなく早世した。
代わって、播磨国姫路藩酒井家から藤井松平忠固が養子に迎えられた。